DATE : 2007/08/04 (Sat)
植草一秀教授 著書で無実訴え、 『知られざる真実-勾留地にて-』(イプシロン出版企画)
http://news.livedoor.com/article/detail/3257202/
DATE : 2007/08/02 (Thu)
ブログに植草氏の事件に対する考えを書かれていました。
↓こちらのサイトです。
http://livealot.exblog.jp/
いつもコメント欄での熊八さんの鋭い指摘はとても参考になります。
合理的疑いを超える証明がなければ有罪とされないという原則が守られる裁判であってほしいと思います。
だって、やってないことを証明するほど難しいことはないのですから。
冤罪というものの重さをわかってほしいと思います。
無実の人が裁かれるなんて事は万が一にもあってはならないのですから。
DATE : 2007/08/01 (Wed)
①証人は本件電車に乗車しておらず、仮に証言内容に近い状況があったとすればそれは本件とは全く別の機会であったと考えるのが自然である。
②証人が被害者の声に気付かなかったことは不自然である
という二つがある。
①に関して、
この検察官の論理にはかなり無理があると思うのですが、
弁護側目撃者は起訴状に記されている犯行時間帯(10時8分から10時10分までの間)はっきりと植草一秀氏だと認識した上で植草氏が容疑のような事を行っていないのを見ている。
Web上のニュースサイトなどはこの事を明らかに隠した報道を行っているので、弁護側目撃証人が役立つ証言を出来なかったように勘違いされている方も多いだろうと思います。
正しい証言内容を知っていただきたいと思います。
目撃証人が眠ってしまっていた事ばかりが報道で取り上げられているが、それに関しては何も問題は無い。
京急路線図
目撃証人は青物横丁あたりから眠ってしまった。騒ぎで目を覚ましたときは大森海岸駅あたりだったと証言していますが、この時間帯は起訴状の犯行時間外であることは明らか。
被害者と言われる人物も、自分が触られたのは品川を出てからすぐの2分ぐらいの間だったと述べていることから証人が青物横丁あたりで眠ってしまっても植草氏の無実証明には何ら問題は無いのです。
起訴内容が完全否定される証言であったことを知っていただきたいと願います。
どうして眠ってしまったのが青物横丁あたりだったと言えるのかと疑問を持つ方もいるようですが、
傍聴できた方に確認したところ、弁護側目撃証人は、これについて、
【青物横丁近くの沿線の特徴のある建物を見た記憶がある。】と公判で証言したそうです。
そして、同様に大森海岸駅あたりで目を覚ましたと言える根拠については、
【大森海岸駅の掲示板を目にした。】との事です。
半分眠った状態で、気配で目を開けたところ、大森海岸駅の掲示板を目にしたと証言したようです。
これだけの記憶があり、はっきりと植草氏だと認識した上で見ていた光景が、検察の言う
『全く別の機会』であったと考えるほうが難しい。そんな風に考えるのはとても不自然です。
②に関しては
植草氏自身も『子供がいるのに』というやや大きな声しか聞いていません。
被害者と言われる女性が『泣いた』というのが事実であっても子供が泣くようにワーワー泣くことは常識的に考えてもありえず、涙が出たというだけの可能性が高いのではないでしょうか。
検察側の証人の証言にも逮捕者の証言にも大声を上げて泣いたような表現は見当たりません。
検察側目撃者によれば、『最後は涙声だった』と表現されています。
電車の騒音の中、半分眠っていた弁護側目撃証人が被害者と言われる女性の声に気付かなくても何ら不自然なところはないと思います。
この証人の証言に特に不自然なところがあるでしょうか?
特に不自然なところがなかったからこそ『別の機会だったのでは・・』という突飛な論法しか使えなかったのではないでしょうか。
植草氏以外の人との見間違いの可能性もとても低いはずです。
検察の論告に、弁護側目撃証人を否定する説得力は全くなかった。
植草氏が無実であるという現場を見ていた証人を否定できなければ、きちんと無罪判決が出されるべきだと思います。
冤罪で裁かれることは決してあってはならないと思います。
DATE : 2007/07/31 (Tue)
『知られざる真実 -勾留地にて-』
楽天ブックス・アマゾンで取り扱いが始まったようです。
←クリックするとはっきりした画像を見ていただけます。
本日、人文・地歴・哲学・社会の
デイリーランキングで4位に入っています。
植草一秀氏のHPでもお知らせが出ていました。
『知られざる真実 -勾留地にて-』が出版されました
DATE : 2007/07/30 (Mon)
普通の事のようですね。
私が東京の交通事情を知らないだけでした。大変申し訳ありません。
直通もあれば泉岳寺乗り換えもあるし、全く普通にあること。との事でした。
詳しくしらないまま書いてしまって誤解を与えてしまったかもしれません。
コメントをいただいた方には大変申しわけないのですが、エントリーを削除させていただきました。
ご了承ください。
DATE : 2007/07/26 (Thu)
9月14日から伝えられた植草氏の巻き込まれた事件の報道を読み返してみると、
14日昼前には逮捕の一報のみが伝えられ、15日朝までに徐々にその内容が詳細かつ具体的になってくる。
いずれかの時点で警察からマスコミ各社に何らかの情報提供がされたと考えるのが普通だろう。
被害者供述からしかわからないはずの事が書かれている。
マスコミがただ警察とは関係ないところで情報収集をしたとは考えられない具体的な記述だ。
伝えられたものは、日刊スポーツ9月14日の記事を例に挙げると、
車内の混雑具合から始まり、
植草氏は被害者と言われる女性の右斜め後ろに立ち、左手で右のお尻を触り、
左手をスカートの中に入れたという具体的表現まで。
その他、30代男性2人が車内で取り囲んで逮捕したという事、
植草氏の所持金まで書いている。
このような具体的な事は警察から出された情報以外の何物でもない。
勝手に記者が書くという可能性は少ない。
事件の状況などは勝手な推測で書いて現在進行中の裁判と大枠で一致している事が書ける訳がない。
マスコミの記事は確実に警察から流された情報で書いている。
『大枠で一致』していると書いたのには理由がある。
最初の頃と事件の詳細が随分変わっているからだ。
先ほども書いた、
【左手で】右のお尻を触って【左手を】スカートの中に入れたという部分は、
【両手で】触って【右手を】スカートの中に入れたに変更されている。
そういう目撃者(検察側目撃証人)が名乗り出たために変更になったのだろうかと想像する。
30代男性【2人】が【車内で】取り囲んで逮捕したというのも、変わっている。
逮捕者によればもう一人は車内で協力してくれたのは気がつかなかったと証言している。
それは検察側目撃証人も車内の状況を説明する際、第2の逮捕者の事を何も述べていないことから
検察側目撃者によって補強・裏付されているように思えるが、
実は初期の報道(もちろん警察情報を基にしたもの)から変わっている。
第9回の弁護側目撃証人だけが車内での2人目の逮捕者を見ているような証言をしているが、
車内から逮捕者は二人だったのだ。
初期の警察から出された情報を元に書かれた記事と照らしてもこれが事実だろう。
植草氏も左側と後ろを掴まれたとおっしゃっています。
検察側目撃者と逮捕者。証言を合わせるように検察が質問をコントロールすることは簡単。
相互で補強し合う証言を出し、裁判官に証言の信用性を強調しても、最初の頃からこれだけストーリーを変えていては信用性も何もない。
マスコミは警察が情報を流さなければわからないことを記事にしている。
マスコミが書いた事件の詳細は警察が言ったこととイコールなのだ。
都合の良いように変遷していることを見落としてはならない。
参考:9月14日日刊スポーツ記事
調べによると、植草容疑者は13日午後10時15分ごろ、京浜急行下り線の車内で、神奈川県内に住む高校2年生の女子生徒の臀(でん)部をさわった疑い。京急品川駅を同10時8分に出た快速特急に乗り、制服姿の女子生徒の右後方から体を密着させて、左手で右臀部をスカートの上から触った。車内の座席は埋まっており、立っている人も多くいたが、乗客の体が触れ合うほど込んではいなかった。1分程度さわり続けたが、女子生徒が我慢して声を出さなかったため、植草容疑者の行為はエスカレート。左手をスカートの中に入れ、下着の上から臀部を触ったため、女子生徒は泣きながら振り向いて「やめてください」と声を出したという。異変に気付いた2人の30代男性が取り囲むと、植草容疑者は抵抗することなく、身柄を取り押さえられた。次の停車駅の京急蒲田駅で女子生徒と男性2人とともに下車。電車を降りる際に一瞬逃げるようなそぶりを見せたが、失敗し観念した様子だったという。ホームでは植草容疑者に気づいた利用客らが集まり騒ぎになった。その後、駅員の通報で駆けつけた蒲田署員に引き渡された。植草容疑者は当初「右手にはバッグを持っていたし、左手はカサを持っていたので触れるわけがない」と話していたという。しかし女子生徒は、植草容疑者が手首にカサの柄をかけて手のひらで触っていたと証言している。その後の調べでは「覚えていない」と供述が一変。また「帰宅途中だった」と話しているが、痴漢をした電車は港区の自宅とは逆方向。同署では供述に不自然な点があることから、さらに追及していく。所持金は数十万円。手鏡は持っていなかった。酒に酔っていたが、酩酊(めいてい)状態ではなかった。