category: 植草一秀氏
DATE : 2007/07/19 (Thu)
DATE : 2007/07/19 (Thu)
ライブドアPJニュースにこの度の論告求刑の詳細が書かれています。
是非ご覧ください。
植草事件求刑で検察側が決定的事項認める
昨日も書きましたが、7月18日、論告求刑で、検察側は
植草氏が犯行時間とされている時間帯に痴漢をしていないのを見たという証人について
下記のように述べた。
記事からの抜粋になりますが、
(1)目撃者は別の事件を見たのではないか
(2)植草氏の立っていた方向が被告証言と目撃者証言とで食い違う
(3)目撃者は川崎駅で友人に会う予定だったと述べたが、友人の名前を明かすのを拒否した
(4)第2回公判(2006年12月20)の検察側目撃者の証言や逮捕者の証言と異なる--に言及した。
※以下、第九回目撃証人とは・・・起訴状にもある犯行時間帯電車が出てすぐから2~3分の間、この間の植草氏の様子を右手はつり革に掴まり眠ったようにぐったりして立っていた。誰とも密着はしていなかった。と証言した目撃証人です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)について
検察側が、
『第9回弁護側目撃証人は本件電車に乗車しておらず、仮に証言内容に近い状況があったとすれば本件とは全く別の機会であったと考えるのが自然だ。』
と述べた件で、これは昨日も書いたとおり、第九回の目撃証人ははっきりと『植草一秀氏だ』とそのときから認識して植草氏を観察しており、『別の機会であった』と考えられることはまずない。
京急に植草氏が電車に乗っていることを見、その後、二人の逮捕者に植草氏が掴まれ降ろされる。今回の被害者と言われる同じセーターとスカートをはいた女性も一緒に降りたのを見ている。
こんな『別の機会』があるわけがない。
全く荒唐無稽な可能性です。
植草氏とわかっていなかったならまだそれも考えられるかもしれない。
しかし植草氏だとはっきりわかっていたと証言している以上、別の機会であるはずがないのです。
どちらかといえば、それは第二回公判検察側証人に当てはまる事なのではないだろうか。
彼は特徴ある植草氏のメガネも覚えていなければ、植草氏が事件の日から10キロも痩せた姿を見て、何も変わらないと答えているのだから。
(2)について、
植草氏がどちら向きにたっていたかという記憶は痴漢騒ぎが起こる前のもので、記憶が鮮明になる前のもの。
体の向きというのは変わるものですし、何より、右手がつり革を掴んでおり、なおかつ女性とも誰とも密着していなかったのを見ているのですから、それで充分なのです。
今日、朝、乗った電車、座れず立っていた方、自分がどちらの方向を向いていたか寸分違わず答えることができますか?
(3)について
第九回目撃証人は、事件を目撃した後、川崎で会う約束をしていた人物が、20分経っても現れず、そのまま帰ったそうです。
合う約束をしていた人の名前を明かさない・・それでは京急に乗車していた証拠がない。
検察官はそう言いたいのでしょう。
しかしこれは逆に考えればこの証人が言っていた『ありのままに話している』ということの証明になる。
先に弁護士と詳細な打ち合わせがあったなら、この証人はもっと受け答えもスムーズであったはずです。
川崎で会おうとしていた人の名前を聞かれ、声を荒げるなんてことは決してしないだろう。
プライベートに触れられるのが嫌なら、公判では無関係のその人の名前はイニシャルにしてほしいとか先手が打てるのではないだろうか。
この目撃証人は植草氏の事件を早くから知っていたがすぐに名乗り出なかった事を涙ながらに公判で話した。
私は第九回公判の内容を聞き、この人が不器用な、正直な人である印象を受けた。
(4)について
検察側の証人と異なれば信用できないのだろうか。これもまた都合の良い話です。
検察側の証人が真実を述べているという前提で話をしてもしかたがない。
それこそ検察側の証人同士で証言が食い違っている数多くの部分は一体どう説明するのか。
全体を通して、検察側の論告にはずいぶん無理があるなぁとう印象を受けた。
昨日も書きましたが、検察側はこの9回証人を否定しなければならないが、それが全くできない様子が伺える。
第九回証人を否定するこの4つを読んでどう思われまか?
私は第九回目撃証人は正直に話している印象を受けます。
話の信用性は高いと思う。(特に第二回検察側証人と比べると)
同じ車両に乗っていて、この証人に話しかけた女性を探しています。
是非第九回証人が車内にいたことを裏付けてほしいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
検察側証人の矛盾点に関してはmojoコメント備忘録(目撃証言の矛盾)をご覧ください。
大手マスコミがこの重要な点を全てスルーしているのはなぜだろう。
偏向報道の視点からもこの事件に関心を持って見てほしい。
是非ご覧ください。
植草事件求刑で検察側が決定的事項認める
昨日も書きましたが、7月18日、論告求刑で、検察側は
植草氏が犯行時間とされている時間帯に痴漢をしていないのを見たという証人について
下記のように述べた。
記事からの抜粋になりますが、
(1)目撃者は別の事件を見たのではないか
(2)植草氏の立っていた方向が被告証言と目撃者証言とで食い違う
(3)目撃者は川崎駅で友人に会う予定だったと述べたが、友人の名前を明かすのを拒否した
(4)第2回公判(2006年12月20)の検察側目撃者の証言や逮捕者の証言と異なる--に言及した。
※以下、第九回目撃証人とは・・・起訴状にもある犯行時間帯電車が出てすぐから2~3分の間、この間の植草氏の様子を右手はつり革に掴まり眠ったようにぐったりして立っていた。誰とも密着はしていなかった。と証言した目撃証人です。
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(1)について
検察側が、
『第9回弁護側目撃証人は本件電車に乗車しておらず、仮に証言内容に近い状況があったとすれば本件とは全く別の機会であったと考えるのが自然だ。』
と述べた件で、これは昨日も書いたとおり、第九回の目撃証人ははっきりと『植草一秀氏だ』とそのときから認識して植草氏を観察しており、『別の機会であった』と考えられることはまずない。
京急に植草氏が電車に乗っていることを見、その後、二人の逮捕者に植草氏が掴まれ降ろされる。今回の被害者と言われる同じセーターとスカートをはいた女性も一緒に降りたのを見ている。
こんな『別の機会』があるわけがない。
全く荒唐無稽な可能性です。
植草氏とわかっていなかったならまだそれも考えられるかもしれない。
しかし植草氏だとはっきりわかっていたと証言している以上、別の機会であるはずがないのです。
どちらかといえば、それは第二回公判検察側証人に当てはまる事なのではないだろうか。
彼は特徴ある植草氏のメガネも覚えていなければ、植草氏が事件の日から10キロも痩せた姿を見て、何も変わらないと答えているのだから。
(2)について、
植草氏がどちら向きにたっていたかという記憶は痴漢騒ぎが起こる前のもので、記憶が鮮明になる前のもの。
体の向きというのは変わるものですし、何より、右手がつり革を掴んでおり、なおかつ女性とも誰とも密着していなかったのを見ているのですから、それで充分なのです。
今日、朝、乗った電車、座れず立っていた方、自分がどちらの方向を向いていたか寸分違わず答えることができますか?
(3)について
第九回目撃証人は、事件を目撃した後、川崎で会う約束をしていた人物が、20分経っても現れず、そのまま帰ったそうです。
合う約束をしていた人の名前を明かさない・・それでは京急に乗車していた証拠がない。
検察官はそう言いたいのでしょう。
しかしこれは逆に考えればこの証人が言っていた『ありのままに話している』ということの証明になる。
先に弁護士と詳細な打ち合わせがあったなら、この証人はもっと受け答えもスムーズであったはずです。
川崎で会おうとしていた人の名前を聞かれ、声を荒げるなんてことは決してしないだろう。
プライベートに触れられるのが嫌なら、公判では無関係のその人の名前はイニシャルにしてほしいとか先手が打てるのではないだろうか。
この目撃証人は植草氏の事件を早くから知っていたがすぐに名乗り出なかった事を涙ながらに公判で話した。
私は第九回公判の内容を聞き、この人が不器用な、正直な人である印象を受けた。
(4)について
検察側の証人と異なれば信用できないのだろうか。これもまた都合の良い話です。
検察側の証人が真実を述べているという前提で話をしてもしかたがない。
それこそ検察側の証人同士で証言が食い違っている数多くの部分は一体どう説明するのか。
全体を通して、検察側の論告にはずいぶん無理があるなぁとう印象を受けた。
昨日も書きましたが、検察側はこの9回証人を否定しなければならないが、それが全くできない様子が伺える。
第九回証人を否定するこの4つを読んでどう思われまか?
私は第九回目撃証人は正直に話している印象を受けます。
話の信用性は高いと思う。(特に第二回検察側証人と比べると)
同じ車両に乗っていて、この証人に話しかけた女性を探しています。
是非第九回証人が車内にいたことを裏付けてほしいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
検察側証人の矛盾点に関してはmojoコメント備忘録(目撃証言の矛盾)をご覧ください。
大手マスコミがこの重要な点を全てスルーしているのはなぜだろう。
偏向報道の視点からもこの事件に関心を持って見てほしい。
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★報道について
NAME: 敏久
植草氏に限った事では無いのですが、ZAKZAKなどは自分で取材したと言うより、警察関係者から聴いた話をそのまま記事にしているように見えます。
多分、その対価として、著名人の獄中の様子とかを教えてもらってるのではないでしょうか(一応、同じ房にいた人に聞いたという設定になっているようですが)
報道が偏っているという印象も、十分受けるのですが、それと同じくらい、記者が働かなくなったなという印象も受けます。
多分、その対価として、著名人の獄中の様子とかを教えてもらってるのではないでしょうか(一応、同じ房にいた人に聞いたという設定になっているようですが)
報道が偏っているという印象も、十分受けるのですが、それと同じくらい、記者が働かなくなったなという印象も受けます。
[No name] Re:報道について
こんばんは。
自分で取材して事実を伝えてこそ記者だと思います・・・。
植草さんの事件ではジャーナリストがやるべきことはたくさんあるように思います。
京急のあの時間帯の込み具合、その時の様子を見ていた人がいないかも探して取材できる気がします。
誰でも流れが出来てから乗っかって追求記事を書くことは容易に出来ますが、最初から自分で疑問を持って取材をしていた記者とでは評価が天と地ほど違いますよね。
自分で取材して事実を伝えてこそ記者だと思います・・・。
植草さんの事件ではジャーナリストがやるべきことはたくさんあるように思います。
京急のあの時間帯の込み具合、その時の様子を見ていた人がいないかも探して取材できる気がします。
誰でも流れが出来てから乗っかって追求記事を書くことは容易に出来ますが、最初から自分で疑問を持って取材をしていた記者とでは評価が天と地ほど違いますよね。
★無題
NAME: 敏久
聞いている範囲内では、特にひねりの無いマニュアル通りの論告だなという印象です。
まさか検察側が被害者とされる女性や自分達が連れてきた証人つかまえて、こいつらは大嘘つきだ、アルセーヌ・リュパンだとそんな主張をする訳にはいかないので、100人検察の人間がいれば100回こんな論告になったと思います。
次回は最終弁論だそうですが、どれくらい時間が取れるのでしょうか?
別に真犯人を捕まえてきて桜吹雪を突き付ける必要は無いですが、喋ってるだけで1時間はかかりそうなので、時間切れにならないかが気になります。
まさか検察側が被害者とされる女性や自分達が連れてきた証人つかまえて、こいつらは大嘘つきだ、アルセーヌ・リュパンだとそんな主張をする訳にはいかないので、100人検察の人間がいれば100回こんな論告になったと思います。
次回は最終弁論だそうですが、どれくらい時間が取れるのでしょうか?
別に真犯人を捕まえてきて桜吹雪を突き付ける必要は無いですが、喋ってるだけで1時間はかかりそうなので、時間切れにならないかが気になります。
★被害者はまったくお気の毒
NAME: 熊八
話はずれるのですが、被害者の女性にはほんとうにお気の毒だったと思います。
逮捕者が、事件の現場で、もう少しよく確認するとか、いきなり逮捕せず話し合うとかすれば、こんなことにはなっていなかっただろうと思います。真犯人をつかまえることができたかもしれません。
(もし「抗議」が現実にあったのだとすれば、被害女性の思い込みが入った可能性もありますが。)
事件直後の報道から考えるに、植草氏は右手で吊り革を持って左手に傘を持っていたと、警察が認識していたことがわかります。これは被害者が見た植草氏の姿であったでしょう。
しかし、被害者や目撃者の話からすると、犯行は、被害者の真後ろに密着した男が両手で行なっていた。
この時点で、植草氏が犯人でないことは明白でした。警察・検察はこの事件をあきらめるべきでした。
無実の人が無実を訴える。これは当然のことであって、やってなくてもやったと言え、と要求することは無茶というものです。
被害者を裁判に巻き込んだ責任は植草氏にあるのではなく、最大の責任を負う真犯人を始めとする、他の人たちにあるのです。
(植草氏はお人がよさそうですから、自分の責任でもあると言い出しかねませんが…)
逮捕者が、事件の現場で、もう少しよく確認するとか、いきなり逮捕せず話し合うとかすれば、こんなことにはなっていなかっただろうと思います。真犯人をつかまえることができたかもしれません。
(もし「抗議」が現実にあったのだとすれば、被害女性の思い込みが入った可能性もありますが。)
事件直後の報道から考えるに、植草氏は右手で吊り革を持って左手に傘を持っていたと、警察が認識していたことがわかります。これは被害者が見た植草氏の姿であったでしょう。
しかし、被害者や目撃者の話からすると、犯行は、被害者の真後ろに密着した男が両手で行なっていた。
この時点で、植草氏が犯人でないことは明白でした。警察・検察はこの事件をあきらめるべきでした。
無実の人が無実を訴える。これは当然のことであって、やってなくてもやったと言え、と要求することは無茶というものです。
被害者を裁判に巻き込んだ責任は植草氏にあるのではなく、最大の責任を負う真犯人を始めとする、他の人たちにあるのです。
(植草氏はお人がよさそうですから、自分の責任でもあると言い出しかねませんが…)
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