DATE : 2007/07/18 (Wed)
傍聴した方から教えていただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここから
今日の論告求刑では、非公開で公判が行われたとされている被害者の供述の概要が話されました。
被害者の供述としては、
■品川駅から電車に乗り込んですぐ、電車が動き出すのと同時くらいに、 背後に触れるような感じで人が立っているのに気付き、 痴漢かなと思った、と供述。
■犯人は左右の腰の下あたりの太ももとお尻に左右の手でそれぞれ触ってきた。
論告の中で、検察は『本件痴漢事件は電車が品川駅を出発して直後から被害者が抗議するまでの2~3分間の事件であると認められる』と述べました。
第9回公判での証人の証言はこの時間帯に証人が被告人の様子をはっきりと目撃しており、
右手で吊皮をつかみ、痴漢をしていなかったと証言したものです。
この意味で被告人の無罪を立証する決定的な証言が示されたことが検察側の論告によって改めて明確になりました。
第2回公判の証人の証言にはきわめて多くの矛盾点があります。
①証人が供述した被害者および間に立っていた女性との距離などを電車図面で再現すると、
被害者女性の位置が電車内左右の中央でなく、電車内右側のドア付近になってしまう事。
※これはmojoさんのmojoコメント備忘録(目撃証人の矛盾)を参照してください。
②犯人の顔などを注視していたにもかかわらず、植草氏の青いセルロイドのメガネなど特徴を覚えていず、
公判で見た被告人がすっかり痩せていたことも気付かなかった。
③翌日にニュースで被疑者が植草氏であることを知るまで、犯人を植草氏とは考えなかった。
などの点をあげられます。
犯行時間帯に植草氏の様子を人物を特定して目撃していたのは第9回証人のみで、
被害者を含め、2人の逮捕者も犯行があった時間帯の植草氏の状況を目撃している人は存在しません。
第2回公判の目撃者が仮に真実を述べていたとしても、目撃していた人物が植草氏であるとは、翌日になるまで考えていないことを考えると別の人物を目撃していて、騒ぎのなかで取り押さえられた植草氏と犯行が行われていた時間帯に目撃していた真犯人を誤って同一視してしまったということになると思われます。
ただ、それ以上の問題として、第2回公判の証人の証言にはあまりにも矛盾点が多いため、その証言の信用性は極めて低いと言わざるをえません。
第9回公判の証人の証言の信用性が極めて高いということになれば、被告人の無実は確実に立証されることになると思われます。
メディアは第9回公判の証人の証言内容を事実とかけ離れて報道し、同証言が被告人の無実を立証する決定的な証言であることをまったく報道しないどころか、被告の無実立証に役立たない証言と事実と明らかに反する報道を展開しました。
本日の検察側の論告においても第9回公判の証人証言について正しい報道をまったく行っていません。
検察権力とメディアが結託して公判報道を著しくゆがめていることが歴然としています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで。
やはり論告求刑でも述べられたように、起訴状にある痴漢の犯行時間は品川駅を出てすぐから2~3分。
その時の様子は第9回証人がはっきりと植草一秀氏だと認識した上で痴漢をしていない様子を見ていたのです。(参考:7月4日公判、証人による重要証言)
---------------------追記---------------------
今回論告で明らかになった、被害者の証言。
さすがに今更動かせなかったようですね。
変更すれば、検察側目撃者・被害者とほとんど全ての供述を変更せざるをえなくなります。
検察側はこの第9回公判の証人の証言を弾劾しなければならないのですが、
本日の論告では、『第9回弁護側目撃証人は本件電車に乗車しておらず、仮に証言内容に近い状況があったとすれば本件とは全く別の機会であったと考えるのが自然だ。』と述べたそうです。
これはあまりに無理がある主張ですね。
不自然です。
事件が起こる前からはっきり植草氏だとわかって見ていた目撃証人なのでこれは絶対にありえません。
この論理がちょうど適用されるとすればそれは植草氏の容姿もはっきり覚えていなかった第二回公判の検察側証人のほうがぴったりでしょう。
マスコミ(毎日新聞)は、植草氏が主張した別の真犯人がいるとする説を検察側が単なる想像と一蹴したと書いているが、
この【別な機会の目撃だったのではないか】との検察の主張の方が単なる想像ではないだろうか。
一蹴されるべきはどちらの主張であろうか。
この無茶苦茶な論理の論告をマスコミは伝えていますか?
植草氏の主張は可能性として大いに有り得る主張だが、検察側の主張は植草氏をはっきりと植草氏だとわかって見ていた目撃者に別人じゃないかと言っているもので、他に反論することが無かったのだろうかと傍聴した方からこのような論告があったことを聞き、驚きました。
もう一点、証人が被害者の声に気付かなかったことを不自然と言ったようですが、
植草氏は被害者の発した声について、
『子供がいるのに』といったやや大きな声しか聞いていません。
泣いたというのも涙が出たというだけの可能性が高いと思われます。
半眠りの着席していたひとが声に気付かなくてもまったく不自然ではないと思われます。
※次回、最終弁論は8月21日に予定されています。
「論告」というのは、検察側の意見陳述というに過ぎません。
「論告」という響きが、なんかスゴいんですけれども、響きだけです。
検察側の意見陳述に過ぎないんだということを明確にしているマスコミはありませんね。
「論告」に対する弁護側の意見陳述が「弁論」です。(次回公判ですね。)
毎日新聞など見てみますと、検察側の意見陳述は「論告」と言ってるのに、弁護側のは「意見陳述」と言っています。間違いではないですが、なんだか、重々しい「論告」に対して、弁護側はちょっと意見が言えるだけ、みたいなイメージを与えますよね。「論告」と言うなら、「弁論」と言うべきです。
スポーツ報知のこれ↓なんかすごいですね。こういうのにごまかされないようにしてください。
「弁護側は、真犯人が別にいると主張していたが、
論告は『真犯人というのは架空の産物』としている。」
検察はそう主張するに決まってますよね。(笑)
この一文がおかしいのは、次のように書き直せばわかります。
「弁護側は、真犯人が別にいると主張していたが、
検察側は『真犯人というのは架空の産物』と主張している。」
当たり前ですよね?
もう一つ書き直しますと、
「弁護側は、真犯人が別にいると主張していたが、
検察側は『真犯人などいない』と主張している」
わざわざ記事で教えてもらうまでもない。(笑)
この記事は、「論告」という言葉の持つ、検察側の主張という以上の何か重々しいもの、といった誤ったイメージを利用して書かれてるんですね。
スパイラルドラゴンさん、おっしゃるとおり常識的に考えれば無罪ですよね。
検察側の論告では、弁護側目撃証人の信憑性を崩せなかったのですから。
でも、現実は有罪率99%です。
はたして、裁判所に常識が通用するのかどうか?
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200707/sha2007071909.html
後は弁護側が最終弁論で、検察側論告の「第9回弁護側目撃証人は本件電車に乗車しておらず電車に乗って居らず」を叩き潰す反論を行えば、私は無罪判決が下されると思います。
だって、被害者の女子高生は、品川駅を出発した後すぐにお尻を触られていると証言していて、「やめてください」と声を上げるまでの間、お尻を触っている人の顔を見ていないと証言していますので。
つまり、「別の犯人が存在する」という前提での弁護方針が、正しかったということですね。
マスコミはあったこともなかったように思わせる事ができるし、なかったことをあったように思わせることもできます。
こんな記事だけを読んで決定的証言をした証人の事を知らないで通り過ぎていく人たちもいるのだと思うと背筋が寒くなります。
やはり、品川から2~3分、被害者の真後ろに密着した男が両手で触っていた、ということは動かせなかったのですね。
一点だけ
>第9回公判の証人の証言の信用性が極めて高いということになれば、
のところですが、それは無罪のための十分条件ですが、必要条件ではないと思います。
「極めて高」くなくてもいいと思います。その人が、とにかく、吊り革を持ってる又は誰とも密着してない植草氏の姿を、品川・青物横丁間で、一度でも見た、と言えさえすれば足ります。
ですから検察としては、この、「一度でも見た」をひっくり返さないといけない。ほとんど完全に証言を否定しなければならないはずです。それができたのかどうか。(裁判官を説得できたのかどうか)