DATE : 2007/11/05 (Mon)
まず産経新聞:判決要旨はこちらをご覧ください。
以下グレー字は判決要旨
裁判では被告人や被告側の証人は、『知っていることは知っている見てないものは見てない』と
正直に話すと、マイナスになるのでしょうか。
検察側証人にはそういう部分を正直に話していると評価する一方で、
被告側証人にその評価を適用しないのは誰もが納得できない部分ではないだろうか。
判決要旨では
弁護側証人の供述は、それなりに大きな声で発言された被害者の「子供がいるのに」などとする言葉を聞いていない点、騒ぎの後蒲田駅到着まで、被告人がずっと押さえつけられていたとする点、本件当時に被告人のそばには女性はいなかったとする点など他の供述とことごとく異なる。
と書かれている。
弁護側証人は、植草さんが逮捕者に押さえられていたその時は
女性の姿は目に入らなかったようですが、
下車する際にはちゃんと女性が一緒に降りて行ったと証言しており、その女性はどちらかの連れのようにも見えたと証言しています。
公判で、女性の制服姿の写真を見せられ、これと一緒だったかと聞かれ、
後姿しか見てないのでリボンは覚えていないが、
カーディガンにスカートは写真と同じだったとも答えています。
女性の存在自体はきちんと確認しているのです。
ただ単に死角になっていて見えなかっただけではないですか?
それを見ていないことがおかしいということで、弁護側証人の証言を否定はできないと思います。
逮捕者に逮捕された時の様子について、
検察側の主張と弁護側の主張は大きく異なります。
検察側は特に荒っぽいこともしていないような主張ですが、
植草さんは随分強い力で押さえつけられたと主張しています。
弁護側目撃者は車内暴力かと思ったということなので植草さんの主張の裏づけでしょう。
利害関係のない第三者が、被告と同じ状況を説明するなら、
実際の逮捕状況がどうだったのか、もっと詳しく検討されるべきだと思います。
>痴漢事件において「痴漢事件ではない!」という証言が有効だとお思いですか?弁護側証人は痴漢事件ではなく車内暴力だと思って証人になったと言っています。
痴漢事件を「痴漢事件ではない!」と思ったからといって、証言が有効でなくなるわけではありません。証人が事件をどう解釈していようと関係ありません。
事件をどう思っていたかはともかく、品川から青物横丁まで、吊り革を持って誰とも密着していなかった植草氏の姿を見た、という部分が重要なのです。
弁護側証人は、品川発車から青物横丁通過あたりまで植草氏を見ており、その姿は、酔った様子で、ぐったりと吊り革を持っており、誰とも密着していない、というものでした。
それからしばらくウトウトとして、そして騒ぎで目を覚まして見ると、植草氏は男性に取り押さえられていて、もう一人の男性が声を上げながらやって来て、植草氏を取り押さえた、ということでした。
これで車内暴力だと思ったということでした。
ところが、ニュースでは植草氏が痴漢をしたと報じられた。それは違うだろーと思ったけれど、「通りがかりの通行人」をしてしまい名乗り出なかった、ということでした。
青物横丁までの植草氏のぐったりとした様子、逮捕者の押さえつけ方などで、あれは車内暴力であって、植草氏が痴漢をしたなどとは考えられない、と弁護側証人は強く思ったのでしょう。
これについては、私は理解できる気がします。ふつう痴漢は、満員電車で、密着して、まわりにわからないようにやるもの、というイメージがあります。人が触れ合わない混み具合の電車内で、実際誰とも密着せず、酔っ払って吊り革につかまってぐったりしていた人が、自分がウトウトしている間に痴漢をしていたなどとはどうしても考えられない、と弁護側証人は思ったのでしょうし、その気持ちは私にはわかる気がします。
ですが、弁護側証人が「痴漢事件じゃない」と思っていたとしても、何の関係もありません。何度も言っておりますように、要は、この人が、品川から数分間、吊り革を持って誰とも密着していなかった植草氏を見ていたことが重要なのです。
>痴漢など無かったと言っているのは弁護側証人だけではないでしょうか?
ゆうたまさんがおっしゃっているように、弁護側証人は、痴漢など無かったと言ったわけではないと思います。電車内の現場一帯の乗客全員の行動が全て終始見えていたわけではないのですから、そんなことを言えるはずがありませんよね。
そりゃ誰かが誰かを触っていたかもしれない、ただ、あの酔っ払ってぐったりした植草さんはやっていないと思う、少なくとも、品川から青物横丁まではやっていなかった、という証言だったと思います。
弁護側証人が無罪の証明をしたという記述をしばしば見かけます。
果たしてそうでしょうか?
マスコミの情報だけで判断することなくここのような擁護意見も数多く見ましたけど、
痴漢事件において「痴漢事件ではない!」という証言が有効だとお思いですか?弁護側証人は痴漢事件ではなく車内暴力だと思って証人になったと言っています。
これが証言をした理由ですよね。
痴漢など無かったと言っているのは弁護側証人だけではないでしょうか?
証言の信憑性以前の問題だと思います。
どこの誰にそんな事を聞いたのか知りませんが、いきなりこのような言い草は問題があると思いますよ。
都合の悪いコメントとはなんでしょう?そんなものはありませんし。
根拠のない中傷コメントは容赦なく削除しますけどね。
きっと貴方はそのような中傷コメントを書いた方に話を聞いてきたのでしょうね。
>弁護側証人が無罪の証明をしたという記述をしばしば見かけます。 果たしてそうでしょうか?
無罪の証明のひとつ、検察(被害者や目撃者)が言う、犯行時間の植草さんのアリバイの証明になっていると思います。
ご質問の件ですが、もう一度、私のブログでもいいですので、読み返して見てもらえますか?
弁護側証人が痴漢事件ではないと証言しましたか?
私が解釈しているのは、
自分が起きて見ていた間は、植草さんが痴漢などしておらず、眠ったようにたっていたと証言したということ。
取り押さえられた時の様子が、車内暴力に見えたということです。
少し、受け取り方が間違っておられるのではないでしょうか?
敏久さんwrote:
>判決文も匿名掲示板の書き込みでも参考に作られたのでしょうか・・・
今回の判決は、ほとんど検察の論告を丸写ししたような内容だったと思います。裁判官の、頭脳を使った形跡がほとんど見られません。公判の記録や最終弁論もロクに読んでないのかなぁと思いました。
袴田事件の第一審の裁判官だった方が、自分は無罪にしたかったが…と悔やんでいます。他の裁判官2人に押されて有罪としたが、上級審で覆ることを期待して、よく読めば穴のある、インチキ判決を書いたのだそうです。しかし覆らなかったと。
植草さんへの今回の判決は、非常に根拠が薄弱で、穴だらけで、ツッコミどころ満載で、無茶苦茶すぎる内容ですが、あまりにも酷いので、もしかすると、自分で無罪判決を書く勇気の無い裁判官たちが、上級審でひっくり返るように、わざと、お粗末な判決をしたためたのかもしれない、などと考えたりもします。
しかし、もしそうだとしても、ひっくり返る保証はまったく無いわけですから、無責任のきわみですよね。
裁判官として生きて行きたいのだろうと思いますが、それで良心が咎めないのか。こんな判決を書くぐらいなら、少なくとも裁判官を辞めて在野の法曹になれ、というのは厳しすぎるでしょうか。
そういえば仕事中ですね。気が付きませんでした・・・。
だめじゃないですか・・・。
警察は警察批判の事を書くとよく巡回してくるようになるので、ちゃんと誰かが読んでくれているという意味ではいいですけどねぇ。
検察の方も、擁護ブログを見ているとは思いますけれど、あの供述変更については、第2回公判でのT証人の供述が、裁判官に対してマズかったから、だけなんじゃないかと思います。
やはり検察官は、主に裁判官(裁判所)向けに行動していると思います。確かに、リークや暴露などによって、警察・検察の正当性をアピールするとともに、裁判所が無罪判決を出しにくい「世間の空気」を作るということはあるかもしれませんが。
第2回公判でT証人が、犯人の眼鏡の有無を憶えていないと証言したこととか、裁判長自身による「痩せ・やつれ」質問などで、どうやら裁判官が「犯人=植草氏」に疑問を持っているようだという感触を、検察は得たのではないでしょうか。それで、犯人の「後ろへの移動」を「右後ろへの移動」に修正させたのだろうと思います。植草さんがいた場所に犯人をより近づけるためですね。
供述変更は、たぶん、第2回公判後のすぐ後だったんじゃないでしょうかね。早いほうが記憶が確かだと言いやすいですし。あまりに遅い変更だと、本当に取って付けたような形になってしまいますから。
この聴取の時期って、いつ頃なんでしょうね?
何度も(速記録では4回以上)検察官と会っているのに、その上で、犯人の動きという重要な「証言の変更」まで加われば、もっと怪しまれるに決まっています。それを押してまで変更をしなければいけない理由があったのでしょうか?
その時期が第6回の逮捕者の前か後かでも違ってきますし、5月に入ってからだとすると、なかなか興味深いのですが。
私のブログで目撃者の向きに関してドアの方を「体ごとか? 顔だけか?」や「180度顔だけ回転させたのか?」など、アンチと私たちで、議論になったのが5月20日前後です。
この時、アンチは
>検証内容が間違っていたらどうするのですか?
という名目のもと、かなりしつこく食い下がっていました。
彼らに言わせれば「辺境のブログ」なのに(笑)
誰も気にしていない、辺境ブログでの検証内容の間違いさえも、キッチリ正したい(=アンチの言い分)これは、すごいボランティア精神です。
(私のブログの話は置いておいて)
私たち擁護的なブログでは、いくつも証言の疑問点を提起しています。アンチは「検証が間違っているから意見する」と言いながら、反論?(揚げ足ですが)を書き込み、私たちは、また反論や新たな疑問点を指摘する。
私がもしも、検察側なら、こういう議論は裁判を争っている以上、気にはなると思います。
(自分の出した根拠に反論しているブログがあれば、その内容に興味を持つのは、どちらの立場でもあるでしょう。)
ただ「真実のみを主張している」場合、このような事を気にする必要もありません。議論に関心はあっても、それに対して「変更を加える」ことは不可能なのだから。
一つの基準として、双方の主張が対立している時、矛盾が「有る・無い」よりも、それの「辻褄合わせをする行為」があれば、そちらが「ウソを言っている」と判断します。
日常生活でも、隠し事のある人は「ウソがバレないか」とか気になるので、どうしても周りの言動が気になります。
やましい気持ちがあれば気にせずにいられないし、出来れば「誤摩化せないか」と考えて、ウソの上塗りをしてしまいます。これは一般の心理に置き換えても正しいのです。
いつ供述変更がされたのかは不明ですが、ネットで私たちが「不自然だ」という主張をしている以外には、マスコミを含めて公判の流れの中では「犯行直後の真犯人の移動や向き」は争点にはなっていないと思います。
検察側のT証人が供述変更したのは、ネットで出された疑問点・矛盾点を意識して、それに対して整合性を持たせようとした結果なのではないかという気がします。
検察官が、担当する事件に関連するブログや、ネットのムード(世論)を気にするのは、全然問題はありません。
しかし、その反論を意識した形で「供述の変更」まで行ったのだとすれば、検察側にとって、世論の印象を悪くするものになると思います。→いわゆる、後だしジャンケンだから
最終弁論で、公判の後に供述が変わってると聞いてびっくりしましたから。
しかし、検察官もネットは見ているでしょうね。
私のサイトは2004年の事件の時からずっと警察からのアクセスもありますし、裁判所からのアクセスもあります。誰が見ているかは別の話ですが。なので、きっと検察官もいろんなサイトの反応も見ているのではないでしょうか?
2004年の事件の時は、弁護士か検察官しか知らないような内容がネット上に植草さんに不利になるような書き方で書き込まれた事がありました。
誰が書いたかは知りませんが。