DATE : 2007/03/23 (Fri)
昨日も書いた再現DVD、百聞は一見にしかずと言います。
今までの速記録や傍聴記を読んでも検察側の証人にはいくつも?マークがつく証言があると思いませんか?
言葉で聞いただけでは『そういう場合もあるのかな』と思える方もいるかも知れません。
しかし、映像で見ればそれが『ありえる事なのかあり得ない事なのか』はっきりわかると思います。
再現DVDは植草氏の記憶に基づき作成されるものだけではない。
出廷した証人の証言に忠実に再現したDVDがある。
植草氏側の主張は今まであまり詳細に公判で話されていないので、一通り通して理解するには植草氏の記憶に基づいた映像は重要な映像になると思う。被告人質問も行われるが、全部でも15分ほどで終わるというDVDで通して見た方がわかりやすいし早いのだ。
証人の証言などに基づき作成された映像に関しては、傍聴できる方にはこのブログのエントリーやコメント欄で何度も出てきていた疑問点を注目して見ていただきたいと思う。
傍聴される方ももちろんなのですが、裁判官の方たちがこの映像を見なければ意味はない。
映像を見て考える事ができるのも、この再現DVDが法廷上映を決定されてこそだ。
証拠採用されなければ裁判官の目にとまることもない。
ひらりんさんもコメント欄に下さいましたが、本来なら『被害者と目撃者の証言が矛盾していることを根拠に、「疑わしきは被告人の利益に」となるはず』しかし、現実問題そうではない。
植草一秀氏は本来は求められないはずである被告側の無実の証明をそれでも何とか証明しようと必死に作成したのでしょう。
この再現DVDをきちんと法廷において上映し、見て欲しいと思います。
この映像の証拠採用は公正な審理をするためにも、植草氏側の無実証明の為にも絶対不可欠なものだと考える。
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個別には書きませんが、傍聴に行かれる方は是非(速記録)も参考にしてこの再現映像を見てください。
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急に話は変わりますが、ネットを見ていたら、その方は誤解されているのか、『植草氏の自宅は品川でしょう?乗り換える必要のない電車に乗っているなんて』と書かれていた。
これは明らかにこの方の勘違いだと思う。
当時から報道でも泉岳寺へいくつもりだったと多少は出ていました。
乗り換えは必要で、その際に乗る電車の方向をただ間違えただけの話なのです。
植草氏のオフィスは泉岳寺が最寄の駅だと住所からもわかります。
もともと大崎から乗り、品川で降りるつもりは無く、泉岳寺へ向かうつもりだったのだと思う。
(植草氏の意見陳述書にも本来の方向とは逆方向とあります)
大学院の後期の日程も当時迫っていたし、夜遅くなってもオフィスでしなければいけない仕事がたくさんあったはず。
顧問をしていた会社での食事会が終わり、自分の仕事を終えるためにオフィスに行くつもりで乗った電車を乗り間違えたのではないでしょうか。乗りかえる必要がなかったのではない。
そして熊八さんがおっしゃるとおり、乗り間違えたことと事件との関係は全くない。
関連させて書くのはおかしいし、その辺、誤解しないでいただきたいと思う。
追記:mojoさんブログ更新されていました
前回の品川事件の時には「当局批判をしている、ケシカラン奴」と、マスコミを通じて植草さんの『烙印』を植え付けて、社会的なイメージを悪くさせるやり方が功を奏したとも言えるでしょう。←しかも一審で争うのを辞めた事も、植草さんを目障りに思う人にとっては「ラッキー」です。
先日、このブログで『現行犯人逮捕手続書』が捏造(言ってもないことを、供述したとか、無いことを有るように書いた)があったという指摘に「単に事務的に、後で作ったもの」と、開き直りともとれる証言を尋問で答えたという、品川の事件のエピソードが紹介されていました。その後、ネットで「そんな書類、事務的に作っただけなんだから」という反論を見かけました。
アホちゃうか?
どういう事か分かってないのか、無知なのか。これがどんなに『恐ろしい事なのか』昨夜の熊八さんのコメントにもあったけど、
>これでは「ぶらっと」「なんとなく」電車に乗ることは、たいへん危険な行為だということになってしまいます。
このコメントは、私たちが飲んでチョット寄り道した時に、トラブルに巻き込まれて周りから「怪しい」と思われた瞬間に、限りなく有罪になりかねないという話ですが、要するに「当事者の印象だけで、犯人にされかねない」という事でしょう。
私たちが逮捕や拘束される。この状況が「適正な手続きかどうかを証明する書類」が、後でその警官の“気持ち次第”で、好き勝手に書き変えられても「逮捕は、適法だ」となる事を意味します。お〜っコワッ!!
警官と口論でもして「生意気なヤツ」って思われたら、即「ええい! アイツ気に入らないからと、いきなり(何も言わずに)逮捕して、その後『現行犯人逮捕手続書』には『逮捕の理由を告げて本人が了解したので逮捕した』と書き込む。これを、「単なる“事務書類”だから、事実が少々違っても大したことない」と思っている、植草さんを批判する人たちの『想像力の無さ』に驚きます。
↑と同じことが、前回の事件では「問題なし=有罪」につながった訳ですから。
そして、今回も「認めていない」とか「警察にはめられた」等、そんな事実が無いのに報道された・・・これも似ているでしょう。(追記:↑「認めていない」は、(例、スポニチ)「現行犯逮捕された直後は「不快感を与えることをした」と痴漢を認めたが、その後否認に転じた。」などの報道の事です。念のため)
「逮捕される際の、手続きの証拠」までが、ウソ(作文)かもしれないというような『前例』を、警察が残すから、裁判になって「証拠の信憑性を証明する、客観的な事実」を、弁護側から求められるのでしょう。(実際、前回の裁判では、捏造疑惑を弁護士さんに指摘されて「手続きにウソがあった」ことを、認めているようだし)
◎好きで「世間の信頼」を無くしているように見える。
先日、あるコメンテーターが、「交通関係に警官の人員の多くが割かれて、事件解決の方まで、人手が回らない」って、オイオイ、大丈夫か? 本末転倒でしょう。それとも、交通反則金の方が「社会の治安維持」よりも重要って事なのかなぁ?
あと昨年末の「警官が、郵便局強盗」って、またすぐに同様な事件が起きているし。
それと、最後にもう一つ「富山のえん罪事件」のその後(ポイントは警察の責任者が「えん罪でした」と、男性に謝罪している時の事です。取調べのエピソードではない)
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20070322/3717.html
>−警察から無実だったと言われた時の気持ちは。
> 「最初は訳がわからなかった。警察はただ頭を下げればいいという感じに見えた。『うち(警察)にも非があるが、あんたにも非がある』と言われ、頭に血が上り『こういう状態にしたのはあんたたちだ』と叫んだ」
現場で働いている警官は、指示に従って「やるべき事をやっている人」が大半でしょう。ただ、それを指示する人間の『意識』が、何を優先しているのか分からなくなります。
最近は「当局批判して、往生際が悪い」よりも「本当は、不当逮捕されたんじゃないかな?」という方が、むしろ説得力を感じます。残念ながら。
一言で全否定して申し訳ありません。(笑)
「どうしてその電車に乗った?」が、なぜ痴漢行為と結びつくのかがわからなかったんです。これでは「ぶらっと」「なんとなく」電車に乗ることは、たいへん危険な行為だということになってしまいます。痴漢で誤認逮捕された場合に有罪になるという意味で。
しかし、おっしゃるように、被告人の言うことを信じるかどうか、というのが日本の刑事裁判のポイントのようですから、検察官が、植草氏の発言の信用性を落とそうと、いろいろな手段を使ってくることは考えられるでしょうね。本来は、被告人の発言ではなく、検察側の立証にツッコミを入れるのが、刑事裁判のスジだとは思うのですが。
上記の私の、長〜いコメントを、一言で“全否定”してしまいましたね。恨みますヨ・・・(笑)
ところで、問題になるのは「痴漢行為を植草さんが、したか、しないか」だと思います。それを証明するのも、全て検察が立証しなければならない。
翻って、もしも私が検察の立場だと考えた場合、どのように被告の主張を切り崩すかがテーマになります。(ヒマだから、考えてみた)
ひとつは「植草さんの記憶がアイマイだから、言っていることもキチンした記憶とは思えない」とする方法。(植草さんの主張が、信憑性が低くなれば、その分、目撃者の言う事が正しいというウエイトが高まる)
もともと、客観証拠が少なくて「やった、やらない」の議論になれば、どちらが本当の事を言っているかは「感覚の問題」になると思います。その場合「酔っていて、記憶がアイマイ」という印象を裁判官が持てば、第三者の証言とか、客観的(とされる)証拠を出している検察の主張の方が正しいという方向に、気持ちが傾くかもしれません。←身内意識というか、検察の主張を認めたいという意識が強い裁判官が多いと聞きます。
よくツッコミのコメントで「電車に乗った記憶はアイマイなのに、事件が起きた時だけ、記憶がハッキリするのはオカシイ」ってあります。
これなんかも、いくら酔っていても、事件に自分が巻き込まれてから、実際拘束されたりする「非常事態」になれば、そこから記憶がハッキリするのは当然だけど、そういう「自然の感覚を納得できない人」も、まだチラホラ見かける。
再現映像が、それぞれの証言にもとづいて作成されていると聞きます。
「植草さんの記憶にもとづいた」という、その元になる“記憶”そのものが、「泥酔している人間の言う事」と判断されれば、それと比較して「被害者、目撃者」の方が正しいという事になるんじゃないかと思います。
例えば、検察の反対尋問で「どうして反対方向に乗った」という質問に、植草さんが「うーん、何となく」とか「気づいたら騒ぎが起っていた」としか答えなくて「大丈夫かね、ホントに覚えているの?」と、裁判官に感じさせる事が出来れば、「犯行そのもの」を論じるよりも、効果的に「被告の主張が怪しい」と思わせられると思います。
わざと、植草さんが覚えていない部分を、しつこく聞いたり、戸惑っているところにダメ押しのように、専門用語を交えながら次々と質問をする。そして、植草さんがシドロモドロになっているような姿を “演出” する。ダメ押しに
「それは・・さっきの、あなたの答えと矛盾するのでは」
なんて感じかなあと。ドラマでは(笑)
そんな「セ・コ・イ・手」を、優秀な検察官が使う訳がないとは思いますが・・・
アリバイが争われているわけではないのだから、現場に至る経路を云々しても無意味ではないでしょうか。
動機を裏づける?と言う人がいるかもしれませんが、動機よりもまず植草氏の痴漢行為そのものが立証されなくてはいけません。そして、それを裏づけるはずの目撃証言は不自然な点だらけで、「物証」も証拠とはいえないようなものでした。
そもそも、電車に乗ったことが、痴漢の動機を裏づける材料になるのかが疑問です。
意味の無い電車に乗ることはあり得ることだし、酔っていれば間違うこともあるでしょう。
どういう心理でその電車に乗ったのかとあらためて尋ねられても、常にうまく答えられるものでしょうか。ましてや酔っていて意識が朦朧としていれば、そうそう合理的に行動を説明できるものではありません。
(「行動を合理的に説明できないから、痴漢をやったと考えられる」というのが暴論であることは言うまでもありません。)
刑事裁判では検察官が立証責任を負っているのだから、問題とすべきは、検察官の出してくる証拠に不自然な点が無いか、それだけだと思います。
先日話題になった、10月4日付けの、毎日新聞にも
>(事務所のある方向の)上り線に乗るつもりだったが、
と、記事にハッキリと記述されています。
先日(2/28)の公判のあとに「泉岳寺に向かうつもりだった」という話が出てきました。その時に、植草さんが、泉岳寺に向かう理由を考えてみました。
(1)事務所がある ←毎日の記事でも裏付けされた。
(2)自宅に戻るルート ←泉岳寺から「都営地下鉄浅草線」に乗り換えると、最寄り駅?(高輪台)につながっている。
この二つの理由を考えると、植草さんが飲み会の後に、何故、品川駅の方に向かったのかがハッキリします。
確かに、飲み会とはいえ「顧問会」という、お仕事の延長でしょう。全くの友人との飲み会では無いのだから。そして、会がおひらきになった時、事務所も電車で2〜3駅の距離しかないなら、とりえあず事務所に行くというのは、自然な行動だと思います。(当時、忙しい時期だったようですし)
自営業の人や、そういう知り合いがいる方は分かると思いますが、飲み会の後「とりあえず、オフィスに、一度戻る」とか「少し残してきた仕事があるので、片付ける」なんて、別れ際に言う人もいます。また、そういう友人はだいたい
>彼は、付き合いもいいけど、すごいマジメだね。とか
>ホント、一生懸命働いているな〜
なんて、周りの評価が高かったり、好かれている人が多いです。
(そんなに飲めるタイプじゃなくても、無理してイッキ飲みするとか、植草さんもそんなタイプじゃないかと思います)
まぁ、人柄は別にして、
「泉岳寺」に向かう意思があったのは、間違いないと思います。ただ、その先の「どうして、蒲田方面の電車に乗ったのか」は、正直(私には)分からないです。
傍聴記(霞っ子クラブ)では、
☆電車が停まってるのが脳裏に残ってるだけ。
☆電車に乗り込んだ記憶もない。
☆「あ、逆の電車だ〜」と思ったが面倒くさいので「いーや」と思った。
確かに、酔っぱらっていて、JRの連絡改札を抜けた時に、目の前に電車が止まっていると、フラーっと乗ってしまうことは、無いとも言えない。
私たちの経験でも、酔っていて「メンドー」と感じてそのまま「反対方向の車両に乗る」という事は、そこまで不自然じゃないと、私は思っています。←京急の品川駅にJRから乗り換える場合です。どこでもの話じゃないですヨ。
あの、京急品川−蒲田駅の事情を知っている人は、分かると思いますが、蒲田駅のホーム(2番線)に到着して、その向かいが「羽田方面」のホームなので、蒲田に到着して、そのまま向かいの1番線で待っていれば、一つか二つ目に、泉岳寺に行ける電車がやってきます。
まぁ、植草さんが当時(酔っている状態で)そこまで考えたかどうか分からないけど、降りる時に清算をすれば済むことなので、「マッ、イイカ」と、そのまま乗ったとしても、私なんかは、そんなに気にはならないです。
あえて『不自然』と言えば、むしろ、そのタイミングで・・・
『痴漢事件が、車内で起きた』ことと、
『植草さんが、後ろからつかまえられた』こと。
だって、その場にいた目撃者は「犯人は、ネクタイをつかまれた」と証言します。
どちらかが作り話をするとしても、こういう『拘束の場面』での主張が違うのはヘンです。そこに「何かある」のでしょう。
もしも、被告がウソを言う場合には、絶対にこんな場面でのウソは言わないでしょう。常識で考えても。
むしろ、反対方向に乗った理由や、目的地がそっちにあったというような“ウソ”を言う。決して、つかまる時の状況でウソは言わないと思います。
何故なら・・・みんなが見ているから。