category: 植草一秀氏
DATE : 2007/03/22 (Thu)
DATE : 2007/03/22 (Thu)
裁判では立証責任は訴追する側にあると理解しています。
どこでどう裁判官が確信するのかわからないが、立証が全く不十分であったり、検察側が無理矢理こじつけた立証をしているにも関わらず、裁判官が『疑わしきは被告人の利益に』の原則を無視し判決を出してしまう裁判の例が痴漢冤罪事件ではいくつもある。
無実を訴える人の事件が全て冤罪だなどと単純に思うことはないが、
本当に無実を訴えて不当な判決を出された人の気持ちを思うとやりきれない。
植草一秀氏が2004年に巻き込まれた事件もまさにそうだったと感じます。
(2004年の件に関しては『植草事件の真実』にも書きましたが、こちらを参照してください。)
立証責任は検察側にある。
それでも今植草氏は自身の無実を証明するためになんとかやっていない事を証明をしようとがんばっている。
その努力を決して軽く扱わない裁判をして欲しいと願います。
植草氏の場合だけでなく、どの裁判でもやっていないことの証明を強いるのは基本的におかしいと思うし、それでも何とか無実を証明しようとする努力をきちんと聞いて欲しいと思う。
無実の人間が不当に裁かれるのは絶対におかしいと思う。
その人にとっては一生をかけた裁判なのです。
例え10人の犯罪者を逃がしても1人の冤罪の者を裁くことがあってはならないとかよくいわれる言葉ですが、どうか裁判所には公正な裁判をしてほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※2日前に書いたベンジャミンフルフォード氏のサイトに書かれていた出版の件は、どの本が出版されるのかよく読み取れなかったので、またはっきりしたら私のブログでも書かせていただこうと思います。とりあえず、2日前のエントリーは非公開にしておきました。
どこでどう裁判官が確信するのかわからないが、立証が全く不十分であったり、検察側が無理矢理こじつけた立証をしているにも関わらず、裁判官が『疑わしきは被告人の利益に』の原則を無視し判決を出してしまう裁判の例が痴漢冤罪事件ではいくつもある。
無実を訴える人の事件が全て冤罪だなどと単純に思うことはないが、
本当に無実を訴えて不当な判決を出された人の気持ちを思うとやりきれない。
植草一秀氏が2004年に巻き込まれた事件もまさにそうだったと感じます。
(2004年の件に関しては『植草事件の真実』にも書きましたが、こちらを参照してください。)
立証責任は検察側にある。
それでも今植草氏は自身の無実を証明するためになんとかやっていない事を証明をしようとがんばっている。
その努力を決して軽く扱わない裁判をして欲しいと願います。
植草氏の場合だけでなく、どの裁判でもやっていないことの証明を強いるのは基本的におかしいと思うし、それでも何とか無実を証明しようとする努力をきちんと聞いて欲しいと思う。
無実の人間が不当に裁かれるのは絶対におかしいと思う。
その人にとっては一生をかけた裁判なのです。
例え10人の犯罪者を逃がしても1人の冤罪の者を裁くことがあってはならないとかよくいわれる言葉ですが、どうか裁判所には公正な裁判をしてほしい。
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※2日前に書いたベンジャミンフルフォード氏のサイトに書かれていた出版の件は、どの本が出版されるのかよく読み取れなかったので、またはっきりしたら私のブログでも書かせていただこうと思います。とりあえず、2日前のエントリーは非公開にしておきました。
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