DATE : 2007/04/02 (Mon)
28日の被告人質問の際にわかったことですが、(3月28日公判での植草氏の証言はこちらのエントリーを参照してください)
9月15日に検察庁へ行くまで植草氏は具体的な容疑の内容を知らされていなかったことが明らかになっています。
よく書いていることだけれど、言葉はきちんと最初から最後まで聞かなければ真意はつかめないとおもうし、
同じような言葉でもニュアンスを変えられてしまえば受け取る方の印象は全く違ったものになってしまいます。
『痴漢をやった覚えは無い』と『痴漢をしたことは覚えていない』は大違いです。
私は前者ははっきりとした否定ととりますが、後者は『記憶にございません』と同じ逃げ言葉に受け取ります。
■植草氏は『痴漢をやった覚えは無い』と言っていた。
■警察から植草氏が言っていると書類に書かれ、また、マスコミにも伝えられ流されたことは『痴漢をしたことは覚えていない』
植草氏はでっちあげだという表現をしたことは一切ありません。
でっち上げと言う言葉が出たのは検察・警察の方から。
■植草氏が『駅で認めていたのか』との質問に対し、『いいえ認めていません』と答えたことが
■事件は警察のでっちあげだと言っていると悪意に流されたようなのです。
そのような言葉のすり替えをするのは本当に卑怯だと思う。
それも警察がそのようなことをするなんて呆れてものが言えない。
■植草氏はそんなことをした覚えは無いと容疑を否定し、認めていませんと重ねて否定しているにも関わらず
■やったことは覚えていないとごまかし、挙句の果てに警察のでっちあげだと言っていますよと言い換える。
こうして世間様への印象が操作されてしまうのかと腹立たしく思います。
印象操作どころか、書類にもそのような事を書き込み発言の事実を曲げている。
警察が取り調べの可視化を強固に拒む理由がよくわかります。
植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀