DATE : 2007/10/19 (Fri)
まず産経新聞:判決要旨はこちらをご覧ください。
以下グレー字は判決要旨
目撃者は視力も左が1・5、右が1・2と十分であり、被害者と被告人からの距離も近く、
痴漢ではないかと疑惑を抱いた後、相当時問を注意して観察していること、
また、被害者から助けを求められたが助けられなかったなど自分にとって不利なことも率直に述べるなど
誠実な供述態度がうかがわれることから、その供述には十分な信用性が認められる。
と書かれているが、
相当時間をかけて観察し、視力も良く、メガネを記憶していないということは
メガネをかけていない植草さんより10キロ程痩せた犯人を見ていたということではないのでしょうか。
判決のように、植草さんが犯人だと言うのであれば、相当時間をかけて観察し、視力も良かった人が
青いフレームの眼鏡をかけていたことを覚えていない、かばんも見ていない、傘も見ていないということは視力はよくても記憶のほうは疑わしいということになりませんか。
そして、自分に不利なことも率直に述べるということは確かに信用できる証言と認めることはできるが、
被害者から助けを求められたが助けられなかったということは、
誠実な態度と証言の信用性を評価できるほど自分に不利なことでしょうか?
弁護側目撃者は、犯行時間とされる時間帯(発車から2~3分間)に
植草さんがぐったりと立っていたというのを目撃しているが
その後少し眠ってしまって、騒ぎで目を開けたと言っている。
目を閉じていた間のことは見ていないが・・・と、これこそ不利なことも正直に隠さず述べています。
それは信用性がないと却下する基準がさっぱりわかりません。
なお、目撃者が、電車が蒲田駅を発車した後、
痴漢を目撃しながら何もできなかったことを悔いる内容のメールを送信したことが認められることは、
その供述を裏付けるものでもある。
とも書かれていますが、ここでも目撃者の記憶に関して疑問があります。
目撃者は横浜駅に差し掛かったあたりでメールを送信したと言っていますが、
メールの送信時間からすると、弘明寺を通過するあたりで送信していることになり、
日々、通勤でこの線を利用しているのに、そんな間違いがあるでしょうか。
支援者の方が測ってくださった
京急の各駅への到着時間を参照してください。
そうなんですよね。事件から3ヶ月後・半年後の検察側目撃者・逮捕者の記憶違いには甘い甘いのに、10ヶ月後の弁護側目撃者の証言には、めったやたらと厳しいんですよね。
弁護側目撃者の証言を全否定するほど『決定的な』矛盾点は指摘できていません。時間がどうだのこうだの言ってますが、細かすぎ厳しすぎ。これでどうして全否定して捨て去れるのか理解できません。
しかし反面から見れば、ここは、判決文の中でも特に苦しい部分です。裁判官もここが肝だとわかっているわけで、弁護側証人の証言を全否定しなければならない。苦心した跡がうかがえます。なんでそんなこと苦心するんだと思いますけれど・・・
証言の変更も全く問題とされていません。
判決要旨を読んでいると、嫌になってきますね。
見間違い、記憶違い、勘違い、その後長時間警察検察と話をした(9月16日には6~7時間)ことで記憶が変遷してしまった可能性は無いのか?など、じゅうぶん考慮に入れて検討しないと。
なぜ犯人の眼鏡の有無を憶えていないことや、痩せ具合の不審点を、簡単に切ってしまうのか? さっぱりわかりません。
証言の3ヶ月前に、1メートルに満たない距離で、障害物も無く直接、痴漢行為をやめさせようとして犯人の顔を注視していたにもかかわらず、なぜ、犯人が眼鏡をかけていたかどうかがわからないのか? それはつまり、犯人の顔をしっかり見ていなかったということではないのか?
それはまぁ記憶があいまいなところもあるだろう、みたいに救済してはいけませんよね! とんでもない話です。植草氏が犯人だと立証する一番重要なところなのですから。
ほんとうに、なんだかなー、という判決ですね。
判決要旨には
>あいまいな点があったり、些細(ささい)なずれが生じてくるのはやむを得ない面がある。目撃者と逮捕者が、公判で供述したのが、それぞれ本件から3カ月余り、半年あまりたった後であり、相当な時聞が経過していたことからすれば、なおさらである。
と書かれていますが、一番重要な点での食い違いを些細としてしまうのは、理解不能です。
公判で供述したのは3カ月余りあとかもしれませんけど、目撃者も逮捕者も事件直後にちゃんと警察で記憶の確認をしていますからね・・・。
なんと表現したらいいのか、不当判決という言葉しか思い浮かびません。