category: 植草一秀氏
DATE : 2007/04/30 (Mon)
DATE : 2007/04/30 (Mon)
目撃者と逮捕者それぞれが、女性が抗議した際の様子を証言していますが、これも食い違っています。
植草氏の記憶では、女性は左回りに振り返りながら、移動し、『子供がいるのに』と言うようなことを言ったのを記憶しているという事でした。
植草一秀氏:意見陳述書参照
目撃者は右回りに振りかえって抗議していたと言っています。(振り返り振り返りとは言っていない)
逮捕者は振り返り振り返りして一言一言抗議していたと言っています。
裁判官から質問され、右肩の方に振り返り振り返りしていたと言ってはいるのですが、
逮捕者は抗議しているときの女性の様子を、
進行方向よりはやや左側を向いていた(つまり自分のほうに向いていた)と言っています。
被害者と言われる女性はそれまではずっと進行方向に向かってまっすぐ立っていたわけでしょう?
些細な事というかくだらないと思われるかも知れませんが、後ろにいる人に抗議するため右向きに振り返った人が、正面よりも左側まで毎回毎回体を戻すだろうか。
女性がやや左側を向いていたのが間違いないなら、植草氏が言うように左肩のほうに振り返っていたのを勘違いしていないだろうか。
いずれにせよ目撃者の証言(振り返り方)は逮捕者の証言と食い違っていて、一部始終を見ていたように話した目撃証言は次々と綻びが出てきている。
目撃者は検察での4回の打ち合わせで、見てないことまで見たように思い込んでしまっている部分があるのではないだろうか。
他の証言と食い違いが大きい事は事実で、目撃証言は信用できないと判断されなければならないと思う。
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★無題
NAME: 熊八
確かに、「被害者の抗議の様子」の点でも、目撃者と逮捕者の証言は大きく食い違っていますね。
しかし、逮捕者の証言のほうが信用できるかというと、疑問です。
振り返る、「やめてください」、戻る。
振り返る、「子供がいるのに恥ずかしくないんですか」、戻る。
振り返る、「謝ってください」、戻る。
振り返る、「次でおりてもらいますから」、戻る。
泣き出す。
変な抗議の仕方だと思うのですが。
ただ、あえてこんな抗議の仕方を逮捕者が描写したのは、被害者がそれに近い証言をしたからだと思います。少なくとも目撃者が言うような、「振り返って詰め寄って抗議」はしていない、と。そんな身動きがとれる車内ではなかったんだ、と。
ですので、逮捕者の証言のほうが信用されて、目撃者の証言のほうは、見間違えたか思い違いをしたのだろう、で片付けられてしまうような気がしますね。
この点からも、目撃者の証言は全部捨てたっていいと、検察は思っているような気がします。
しかし、逮捕者の証言のほうが信用できるかというと、疑問です。
振り返る、「やめてください」、戻る。
振り返る、「子供がいるのに恥ずかしくないんですか」、戻る。
振り返る、「謝ってください」、戻る。
振り返る、「次でおりてもらいますから」、戻る。
泣き出す。
変な抗議の仕方だと思うのですが。
ただ、あえてこんな抗議の仕方を逮捕者が描写したのは、被害者がそれに近い証言をしたからだと思います。少なくとも目撃者が言うような、「振り返って詰め寄って抗議」はしていない、と。そんな身動きがとれる車内ではなかったんだ、と。
ですので、逮捕者の証言のほうが信用されて、目撃者の証言のほうは、見間違えたか思い違いをしたのだろう、で片付けられてしまうような気がしますね。
この点からも、目撃者の証言は全部捨てたっていいと、検察は思っているような気がします。
★鹿児島の事件
NAME: 吉祥天
警察検察ともに無理すじと認識していたようです。
http://www.asahi.com/national/update/0430/SEB200704290008.html
富山の冤罪もそうですが、現在の司法制度に疑問をもつと、最近なぜかゾクゾク無罪判決が下された事件を持ち出し「ちゃんと無罪がでてるじゃないか、裁判制度は立派に機能している」と言う方がいます。その人たちは原因と途中経過に目を向けません。
なぜこのようなことが起きたのか、なぜ途中で気づかなかったのか、そこに切り込むのが本来のジャーナリズムでしょうが、マスコミはまったく無関心です。最初の報道時点で、一緒に有罪に仕立てることに加担していたのでは?それ以外の、考えられる理由があったら教えてほしいですね。
植草氏が品川事件で推定有罪となったこと、「無罪を主張するならなぜ控訴しなかったのか」という見方、どちらも原因と途中経過の事実にまったく目を向けず、結果として植草氏の言論を封じることが目的だったと思えるのです。
http://www.asahi.com/national/update/0430/SEB200704290008.html
富山の冤罪もそうですが、現在の司法制度に疑問をもつと、最近なぜかゾクゾク無罪判決が下された事件を持ち出し「ちゃんと無罪がでてるじゃないか、裁判制度は立派に機能している」と言う方がいます。その人たちは原因と途中経過に目を向けません。
なぜこのようなことが起きたのか、なぜ途中で気づかなかったのか、そこに切り込むのが本来のジャーナリズムでしょうが、マスコミはまったく無関心です。最初の報道時点で、一緒に有罪に仕立てることに加担していたのでは?それ以外の、考えられる理由があったら教えてほしいですね。
植草氏が品川事件で推定有罪となったこと、「無罪を主張するならなぜ控訴しなかったのか」という見方、どちらも原因と途中経過の事実にまったく目を向けず、結果として植草氏の言論を封じることが目的だったと思えるのです。
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