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DATE : 2025/01/23 (Thu)
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DATE : 2007/04/05 (Thu)

4月1日に植草一秀氏への被告人質問の内容を書きましたが、その追記です。

植草氏が電車に乗るまでの部分の証言です。

午後6時半~JR大崎駅に隣接した大崎ニューシティー内にある中華料理店で顧問をしていた会社の宴席に出席していた。
それまでは外苑前にある別の顧問会社に行っていたそうです。
外苑前から地下鉄で新橋まで。新橋からJRで大崎駅に行った。

タクシーは利用されることは少ないのですか?の質問に

普段の移動は、自分で車を運転していて、それ以外は電車が中心。
理由は、(植草氏の)事務所が駅から歩いて20~30秒ほどの場所にあって、電車が便利。
そして、経費節減が主な理由。

宴会では何を飲んだのですか?の質問に

ビールと紹興酒だったと思います。
ビールは高さ10センチくらいの普通のグラスで5、6杯だったと思います。
紹興酒は、数えながら飲んだわけではないので、はっきり覚えていませんが、
高さが5、6センチの小さめのグラスで2、30杯以上は飲んだと思う。
宴会の途中から一気飲みをずいぶん勧められたので、かなり速いペースで飲んだと思う。

普段は、毎日、お酒を飲むのですか?の質問に
毎日は飲みません。
会食が続くと何日か続けて飲むこともある。
飲まない時は10日ほど飲まない時もある。
この日は中華料理のフルコースでお酒の飲み放題のコースがセットされていた。
しかし飲めない人が何人もいて、飲める人がたくさん飲まなければという話が宴会のの初めの20分くらいのメインの話題だった。その結果、お酒を飲める人がたくさんお酒を飲むことになった。


宴会の初めのころの出来事は覚えているけれど、途中からの出来事は覚えていない。
それは今覚えていないだけでなく、事件直後も覚えていなかった。

そのようにお酒を飲んで記憶がなくなることはよくあることなのですか?の質問に
過去にお酒を飲んで眠ってしまったり、一部記憶をなくすということは、数えてみたら15回程度あったと思う。
お酒を飲んで記憶がなくなったときは、きまって体が疲れているときに一気飲みで大量のお酒を飲み、記憶がなくなったり、眠ってしまったりというパターンでした。
この日がまさにこのパターンだった。

お酒をのんで記憶がなくなった過去の例で変な行動を取ったことはありますか?の質問に
多少陽気になって、そのあと眠ってしまうようです。
人に聞いても特に変わった行動をとっていたことはないと言われる。

宴会の初めのころの出来事は覚えているけれど、途中からの出来事は覚えていない。
宴会で会話した内容に関しては、
取り調べで聞かれ、思い出そうとして考えると、ゴルフの話題があったことを覚えている程度。
覚えているのは、宴会の最初に飲み放題のコースであるにもかかわらず、お酒を飲めない人がたくさんいるので、お酒を飲める人が大量にお酒をおまなければとの話題が中心になっていいたこと。
常務が中国での紹興酒の話題について話をされていたこと。
出席していた社員の家庭に子供が生まれることなど。

取り調べの際に、検事から、ゴルフコンペの日程をきめていたらしいことを聞かされて驚いた。
(植草氏の)手帳の11月3日に『ゴルフ』という書き込みがあり、この日にゴルフコンペの日程を自分で入れたらしい。しかし、11月3日は家族旅行の予定だった。なぜその日に書き込んだのか分からなかった。

顧問会社の社員の方の供述調書による会話内容でもいくつか確認。
その日政治家の方と会っていたということから、政治の話になったことはは覚えていますか?の質問に
到着した時に、昼にある政党の本部に行ったことを話した。政治の話を多少したようには思います。
社長交代に伴う仕事の話をしたということは覚えていますか?
覚えていません。
五反田にある飲食店に関して、あそこがうまいというような話をしたことは覚えていますか?
覚えていません。

宴会が終了したのは何時だったのかは時計を見ていませんので分からない。
中華料理店の個室を出るときの出入り口の光景を断片的にだけれど覚えている。あとは思いだせない。
大崎駅まで誰かと一緒だったような気はするが、よく覚えていない。
宴会後の予定は、その時のことは覚えていないけれど、当日の予定としては事務所に帰る予定だった。
それは事務所に宿泊するという事。仕事が遅くなるに時はよく事務所に泊まる。

(植草氏が)京急を利用するのは、月に6、7回くらいではないかと思う。
普通は駅のJR構内から通じている連絡改札を利用する。
その時はパスネットを使ったように思う。
普通は上りホームには、右手の階段を下り、階段を上ります。
改札を通る瞬間、前方に電車が止まっていた光景を覚えていますが、あとはまったく覚えていない。
泉岳寺方面に行く電車ではなく、久里浜方面に行く電車に乗ったのはなぜですか?の質問には
電車に乗る瞬間に、『あ、逆方向かな』と思ったのですが、頭がよく働かず『ま、いいか』と思って乗ってしまった。

警察の調書に以下の事が書かれている。
『その電車に乗り込んだのは、連絡通路を渡って上りホームに行くのが面倒に思えたからです。とりあえず、その電車に乗ってどこかの駅で乗り換えればいいと考えていました。どこかの駅で階段を上り下りしなくても上り電車に乗り換えることができれば、その方が楽だと考えていました』
これは事実ですか?の質問に

事実です。『まあいいか』と思った理由をあとから冷静に論理的に説明するとこういうことになるかなということを説明のために話しました。
一度は、『やっぱり降りようか』と思い降りようとした。そのときに何人も人が乗り込んできてドアが閉まってしまったような記憶がある。自分が京浜急行のどの種類(快速特急・急行など)に乗ったかはまったく分かりません。
※事件が起きたのは3両目の真ん中のドアと言われていますが、植草氏はその電車の何両目に乗ったか、どのドアから乗ったかというのは覚えていないと証言されたようです。


乗り換えに関しては特にどこの駅でということは考えていなかったが、一旦反対に乗って乗り換えやすい駅で乗り換えようと思った。
そういう経験はあるのですか?の質問に
あります。(京急では?)以前にも一度だけあります。
地下鉄の乗り換えの際にそのようなことはよくあります。

具体的には?
例えば、外苑前から地下鉄の新宿に行く場合に、本来は赤坂見附で乗り換えだけれども、いったん溜池山王まで行き、溜池山王で反対側の電車に乗り、赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えるというようなことがあります。

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DATE : 2007/04/04 (Wed)

以前のエントリーにも書きましたが、被害者と言われる女性はその日カーディガンを羽織っていたそうです。

繊維鑑定に関しては以前から何度も書いているように、何も特定されておらず、一致もしていない繊維でしたので証拠などと言い張るには無理があると思います。
(繊維鑑定の詳しい内容はこちら。マスコミ報道しか聞いていない方は是非一度読んでみてください。)
京急の職員と2度に渡って激しいとっくみあいのようなものがあったらしいし、公判で弁護士さんがおっしゃった話によれば京急の制服は同じ『青色獣毛繊維』とのことなのでそちらの可能性の方が高いと思われます。

類似していると大々的に報道されたたった3本の繊維。
女性のスカートの繊維だとは言えないので、類似とごまかした表現になっている事に注目してほしいと思います。
違うものでも色が似てたら検察も裁判戦術上類似と言うのでしょう。
その論理なら、女性のスカートと京急の職員の制服も類似していると言えるのではないかな。

この鑑定のようにスカートのようなけば立っていない生地の繊維が容易に手などに付着するなら、カーディガンの繊維はもっと容易にかつ多量に付着することでしょう。
植草氏と被害者と言われる女性が密着していたと言っているのは検察です。
密着していたと主張するのであれば植草氏のスーツに多量の女子高生の羽織っていた繊維がついているはず。
手対生地より生地対生地のほうがこすれてお互いの繊維がつきやすいのではないでしょうか。

■警察が保管していると言われているスーツに付着している繊維の鑑定を提出して欲しいと思います。

(因みに、密着していたと言っているのは、植草氏の持っていたかばんも傘も、めがねをかけていたかどうかもスーツの色さえもなんにも覚えていない検察側証人の証言ですが。)

■それと、まだ残っている『被害者証言に基づく再現映像』これの証拠採用も必要だと思います。


植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀


DATE : 2007/04/02 (Mon)

28日の被告人質問の際にわかったことですが、(3月28日公判での植草氏の証言はこちらのエントリーを参照してください)
9月15日に検察庁へ行くまで植草氏は具体的な容疑の内容を知らされていなかったことが明らかになっています。

よく書いていることだけれど、言葉はきちんと最初から最後まで聞かなければ真意はつかめないとおもうし、
同じような言葉でもニュアンスを変えられてしまえば受け取る方の印象は全く違ったものになってしまいます。

『痴漢をやった覚えは無い』と『痴漢をしたことは覚えていない』は大違いです。
私は前者ははっきりとした否定ととりますが、後者は『記憶にございません』と同じ逃げ言葉に受け取ります。

■植草氏は『痴漢をやった覚えは無い』と言っていた。
■警察から植草氏が言っていると書類に書かれ、また、マスコミにも伝えられ流されたことは『痴漢をしたことは覚えていない』

警察のでっちあげ発言も同じです。

植草氏はでっちあげだという表現をしたことは一切ありません。
でっち上げと言う言葉が出たのは検察・警察の方から。

■植草氏が『駅で認めていたのか』との質問に対し、『いいえ認めていません』と答えたことが
■事件は警察のでっちあげだと言っていると悪意に流されたようなのです。

そのような言葉のすり替えをするのは本当に卑怯だと思う。
それも警察がそのようなことをするなんて呆れてものが言えない。

■植草氏はそんなことをした覚えは無いと容疑を否定し、認めていませんと重ねて否定しているにも関わらず
■やったことは覚えていないとごまかし、挙句の果てに警察のでっちあげだと言っていますよと言い換える。
こうして世間様への印象が操作されてしまうのかと腹立たしく思います。
印象操作どころか、書類にもそのような事を書き込み発言の事実を曲げている。
警察が取り調べの可視化を強固に拒む理由がよくわかります。

植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀


DATE : 2007/04/02 (Mon)
スリーネーションズリサーチのコラム、更新されていました。
今回は日銀短観の発表と当面の経済金融情勢でしたよ。

DATE : 2007/04/01 (Sun)
28日の公判で植草一秀氏への被告人質問があった。

植草氏が証言した内容をまとめると以下のようになります。
速記録とは違うので、実際に話した言葉とは表現に一部違う部分があるかと思います。

植草氏は9月13日当日、傘と書類がたくさん入った重さ4kgのかばんを持っていた。
着ていた洋服はグレーのスーツに赤系統のネクタイ。めがねは青っぽいふちのめがねだった。

電車に乗り込み、乗り込んだドアの反対側のドアに近いあたりにいた。
お酒に酔っていたこともあり、ぐったりと眠ったように立っていたところ、女性の大きな声がして目を覚ました。
『子供がいるのに』というような言葉を発していたのを覚えている。
その大声にびっくりして目を覚まし、意識がはっきりした。
その時、電車の進行方向に対し左側のドアの方向に向かって立っていた。
傘は杖のようにしていた。かばんは右の肩にかけていたと思う。右手はつり革に掴まっていたように思う。

女性の声で目を覚ますと、女性が確か左回りに振り返りながら自分の右前に移動するのが見えた。
その女性との間は70~80センチだったと思う。
(冒頭陳述で1M~1.5Mという表現があったが、それは自分の感覚ではそれぐらいだと思ったが、再現映像を作る際に記憶を元に測ったらそれは70~80センチであることがわかった。)

女性がやや大きめの声で騒いでいたので痴漢騒ぎだと思った。
自分は絶対に関わりあいたくないと思い、場所はその場からほとんど動かず、少し向きを右向き(進行方向向き)に変えて目を閉じて下を向いて立っていた。

しばらくしてから左側と後ろ側を(多分2人に)つかまれた。
植草氏が関わりあいたくないと思い向きを少し変えてから30秒~60秒ぐらいだった。
大きな声ではなく、つぶやくように小さな声で『ちょっと待ってください。何もしてませんよ』と言ったと思う。
それは、顔を知られているし、以前にも事件に巻き込まれているので、自分とわかると大騒ぎになる、ここで騒ぎにしたくないと思ったからだった。

蒲田駅に着くまで、ずっと先ほどと同じ体勢だった。
女性の状況は目を閉じていたので見ていない。泣いていたといわれる声は聞こえなかった。
女性と話をして誤解をとかなければならないと考えていた。
女性からは話しかけられていない。手で謝るようなしぐさもしていない。
到着するまでの間男性にネクタイをつかまれたという事もない。
自分を押さえた男性は降りる直前に『逃げるなよ』というようなことを言ったと思う。
『逃げませんよ』と答えたように思う。

進行方向に向かって左側のドアが開いた。
横と後ろを強く掴まれたまま電車を降りた。
女性と話をしなければと思っていたのが出来なかった。
『女性と話をさせて欲しい』と何度も言ったが、押さえた男性たちは何も答えなかった。
自分はやってない、間違いだというような言葉は言わなかったが、それは自分が痴漢をしたという認識はなかったが、女性の声で目が覚めるまでは眠ったような状態であったので、何があったのかわからない。
まず、女性と話して誤解を解かなければならないと考えていたから。

その後事務室でも、女性がどのような内容で被害を訴えているのか聞かされることはなかった。
痴漢と間違われたのはわかっていたが、どのようなことなのか具体的には何もわからなかった。
駅員もダメだと言い、女性と話をさせてくれなかった。
それで女性の居るであろう場所に行こうとし、体格の良い駅員と相撲の取り組みのような形でもみ合いになった。話もさせてもらえないまま警察に行けば自分が犯人にされてしまうと思った。
そのときには、自分だけでなく、家族が想像を絶する(報道)被害などに遭うと思った。それはどうしても避けたいと思い、全てを遮断するには自らの命を絶つしかないと思い、ネクタイを外し首を絞めた。
気がついた駅員がネクタイを取り上げ、そしてまた駅員と激しいもみ合いになった。

そのすぐ後に警官が(おそらく一人)事務室に入ってきた。
その警官から名前や住所を聞かれた。
警官からは何があったのかとか、何をしたのかとか聞かれていない。
具体的にどういう事で自分が疑われているのかという事も説明を受けていない。
『女性に不快感を与えるようなことをしました』などとは絶対に言っていない。断言できる。
詳細は何も知らされることがないまま、このあと蒲田署へ。

13日、蒲田署で取調べがあった。
昨日書いた酒気帯び検知カードの件
その時、痴漢容疑だという事だけはわかってた。(どういう容疑なのか具体的なことはこの後15日に検察庁に行くまで何も知らされなかった)
なので、『痴漢をやった覚えは無い』という言い方で否定していた。
それが弁解録取書には『やったことは覚えていない』と書かれたと思う。
弁解録取書を作るとき、駅での警官とのやりとりの内容を聞かれなかった。

14日も取調べがあり、この日も女性がどのような被害を訴えているのか聞かされなかった。
具体的な説明が全く無かった。
何を疑われているのか、警察官に何度聞いても教えてくれなかった。

この日『やったんだろう、やったと言え』と言われたので、『痴漢をした認識は無い、やった覚えは無い』と答えた。

15日、検察庁へ行き、初めて検察官から容疑の具体的な内容を聞いた。
『そのようなことはしていない』と答えた。

16日、裁判所に行き、勾留質問。
15日にも聞いた具体的な容疑は概ね理解できたが、わからない部分を裁判官に詳しく聞いた。
『そのようなことはしていない』と答えた。

自分は13日以降、一度も容疑を認めた発言はしていない。一度もそんな発言はしていない。

それが、接見禁止の検察側準抗告の書類に『駅で認めていた』と書いてあるのを知った。
こんな事実は絶対に無く、書類の捏造に強い怒りを覚えた。
その書類の存在を知ってから、取調べのときに警察官に問いただした。
警官は驚き、『そんなことまで知ってるんだー』といい、『でっちあげだと言うんだな』といった。

でっちあげという言葉は15日検事からも聞いた。
『でっちあげだって言ってるんだってね』と。
何の事かわからなかった。自分は一度もそんなことを言っていない。
駅では認めていたのかとの質問にいいえ認めていませんと答えたことが、『警察のでっちあげだと言っている』とマスコミに流されたのではないか。
その事を何かで知った検事が15日に『でっちあげだと言っているらしいね』と私に聞いたのではないかと推察できた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の公判で、随分植草氏側の主張がわかったように思います。
それと、おかしな小細工があったことも。

植草氏はあの事件があった13日以降、ずっと否認しています。

認めたなどという事は一切無い。駅で認めたなどと書いている書類は全くの捏造です。

9月15日、検察官から聞かされるまで植草氏は具体的な容疑の内容を聞いても教えてもらえず、そのために、『痴漢をした覚えは無い』という表現になっていたようですね。(それが痴漢をしたことは覚えていないと書かれているらしい)
それで9月15日に具体的な内容を知らされてからは、はっきりと『完全否認』としている経緯があるようです。

もちろん以前にも何度も書いていますが警察のでっちあげなんて話も一切していないと証言されています。

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DATE : 2007/03/31 (Sat)

 
この間もちょうど書いた飲酒した場合の呼気の件も28日の公判で出たようです。
0.47に間違いなかったようです。
前回も書きましたが0.47というのは一般的には歩くとふらつくぐらいの酔いらしい。
植草氏は当日4キロの重さのかばんと傘を持っていたようです。
これではあの大きく揺れる電車内で、つり革に掴まって立っている方が自然だろう。
(それと、めがねもかけていて青っぽいふちのめがねだったそうです。印象に残っていないなんて変ですね。)

9月13日に、植草氏の状態を記録した酒酔い酒気帯び検知のカードというのがあるようです。
呼気に含まれるアルコールの量、歩行状態が書かれているようです。
警察がそれを作成し、植草氏の指印を求める際、植草氏は呼気に含まれるアルコール量は0.47という部分に関してのみ認めると指印を押しているようです。
その数値(0.47)の部分だけカードの右上に手書きになっているらしく、なぜ手書きになっていてそこに指印が押してあるのかという弁護士さんの質問に、植草氏は、
カードに歩行状態が正常と書かれており、まっすぐには歩けたが正常でなかった。自分の認識と違っていたので、数値についてのみ認めるという形で指印したとの事です。

植草氏の事件を知ると、逮捕に関連する書類の所々に警察の行動におかしな部分が伺える。
■歩行状態に関して、本人の認識と違う記述のされた飲酒検知カード
(植草氏が部分的に押印を拒否しているので数値のみしか認められはしないだろうと思うけれど)
■駅では犯行を認めていたなどと全くの嘘が書かれた書類
(この間も書いた植草氏が問い詰めたら『そんなことまでしってるのー。』と警官が言った話です)
■事件は警察のでっちあげだと言っているとの全くの嘘のリーク(この経緯はまとめてもう一度明日以降に)

報道された大きな事件では
12名の無実が明らかになった志布志事件。
富山の服役後に明らかになった冤罪事件。
どんな取調べや不正な書類の作成が行われたかご存知ですよね。
植草一秀氏の事件、このふたつで明らかになった昨今の警察の体質に共通するものがある。
この二つの事件は明らかに捜査を放棄したこれこそ『警察のでっちあげ』だった。
裁判官は警察の不正を決して見逃さないでいただきたいと思うのです。
なんでもアリの警察にそれは違うぞと歯止めをかけてもらいたいと思う。
こんな嘘の書類作られたんじゃたまりませんよ。

植草氏の意見を伝えないマスコミの方にも言いたい。
今警察の不正を酷いと報道しているあなた方は富山の冤罪事件・志布志事件を当事何と伝えたのか。
警察に言われたとおりの事をそのまま流すことに今でも疑問を感じないでしょうか。



DATE : 2007/03/30 (Fri)

植草氏がなぜ、宴会のあと、タクシーを使わなかったか。
その理由も28日の公判で詳細なやりとりがされたようです。

植草氏は、9月13日当日、PM6:30~予定されていた宴会のため、別の顧問会社から地下鉄で新橋へ行き、JRで大崎駅に行った。
そして大崎ニューシティ内の飲食店で行われた宴会に出席した。

酔っていたが、タクシーを利用せず、電車を利用した理由は当時どう思ったかはよく覚えていないが、
後から考えられる理由は以下の通りだと説明された。
多少、話された言葉と違う部分があるかもしれませんが、内容は同じのはずです。
その部分だけ箇条書きにすると、

■過去にも宴会をした顧問会社の方々とは、何度か大崎駅近くで飲食をすることがあった。
その際、皆が電車で帰るので、植草氏も今までも一緒に電車で帰っていた。
大崎ニューシティは連絡通路で大崎駅の改札に直結している。そのため皆、普通に駅に向かったのだと思う。(大崎駅からの連絡通路は大崎ニューシティーの3階につながっていて、2階へはエスカレーターで行ける。二ューシティーの2階を出るとそのままエスカレーターと連絡通路で改札までつながっており、徒歩では改札まで1分くらい。)

■タクシー乗り場が大崎ニューシティーの側にはなかったこと。(反対側にはあったのではないかと思うとの事)
大崎駅周辺はJR・山手通り・目黒川・一般道路と立体的に入り組んでいて、車の利用が非常に不便な場所であること。

■地図では山手通りがすぐ近くにあるように見えるが、山手通りは立体交差になっていて、駅からは直接出ることができない事。

■普段から移動には自分の車を利用していて、それ以外は電車を利用することが多かった。

■泉岳寺の駅から植草氏の事務所まで徒歩で20~30秒の場所にあり、電車を利用するのが便利であることと、経費節減が主な理由で自家用車以外では普段から電車を利用していた。
 (当日はその泉岳寺駅近くにある事務所に宴会のあと戻る予定であった)

■大崎駅から泉岳寺へタクシーを利用したことがないので分からないが、この(反対側の?)タクシー乗り場から乗るとJR沿いに大井町の方まで行ってしまうことになり、山手通りの立体交差、目黒川などに阻まれて、とても複雑で遠回りの経路になると思う事。


私としては、酔っていようがいまいが、タクシーを使う使わないは個人の勝手で事件とはなんら関係ないものだとは思いますが、タクシーに乗らずに電車を使ったという事だけで、疑わしいと言う方がいらっしゃる。
今回、午後の被告人質問の中で詳細な受け答えがあったようですので、書かせていただきます。

同じく反対方向の電車に乗っている事を直前に気づきながらもまぁいいかと思いそのまま乗った事もよく話題にされています。こちらも詳しい質問と回答があったようですし、他にも書きたい事があるので
続きは夜にでも。

植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀植草一秀

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